兵庫にみる江戸時代 龍野編 ロケ地 たつの市
龍野惣絵図(寛政十(1798)年)
地形のみならず、屋敷やその敷地面積まで、当時の高い測量技術に基づいた町全体の情報が記入されています。(たつの市立龍野歴史文化資料館)
現在の龍野の風景
西の高台にある白鷺山から町の北東方面を見渡したところです。揖保川(写真中央)流域に発達した古い町並みが良く残っています。左側の山は鶏籠山(けいろうさん)で、中世十五世紀末にこの地域を治めていた赤松氏が築いた山城がありました。現在も残る城壁の一部に、その痕跡を留めています。
龍野城は、十六世紀末に鶏籠山の山城が取り壊された後に新たに築かれた平山城です。寛文十二(1672)年に信濃国(現在の長野県)から転封して以来、代々この地の藩主を務めた
脇坂氏の居城となりました。当時の絵図等を参考に昭和五十四(1979)年に復元され、その姿を伝えています。
写真の左は、藩主の謁見の間を復元したものです。五万石クラスの大名に相応しい豪華なつくりとなっていた様子が窺えます。写真右は城へと続く白壁で、脇坂氏の家紋である「輪違」の瓦が使われています。
醤油売の商家の帳場
龍野の醤油業は、灘で盛んであった醸造業の影響も受け、江戸時代半ば頃から本格的に展開、
発展を遂げました。藩主脇坂氏は、幕府の要職も務めるなど中央(江戸)でも活躍していますが、
こうした活動もあって厳しかった藩の財政を支える重要な産業のひとつでした。(うすくち
龍野醤油資料館。写真は明治時代のもの)
龍野神社
倒幕か佐幕か―幕末の風雲急を告げる情勢は、幕府と比較的深い関係にあった龍野藩をも大きく巻き込みました。これはその折に建立された、脇坂氏の初代とされる安治を祀った神社です。近江国(現在の滋賀県)浅井郡脇坂庄に生まれた安治は、「賤ヶ岳七本槍」の一人、武勇をもって知られています。手前に見える石像の頭は、相撲の元祖とされる野見宿禰(のみのすくね)です。龍野で亡くなったと伝わるこの人物も、この地に合祀されています。神社は現在では、龍野の有名な年中行事のひとつ武者行列の拠点としても親しまれています。
歴史は祭りというかたちでも、人々の間に脈々と受け継がれてきました。写真は、この地域に数百年来伝わるとされる「梛(なぎ)八幡神社の神事獅子舞」(兵庫県指定
無形民族文化財)と実際の出場者(写真右はその時の様子(平成十八(2006)年十月二十日))です。