[解説]
本事案は、いわゆる切捨御免に関する裁判例である。切捨御免とは、一般的には身分の低い町人や百姓(=庶民)が、武士に対して少しでも無礼を働いた場合に、武士はその無礼を理由に庶民を切り殺しても構わないというイメージがある。しかし平松義郎は、著書『近世刑事訴訟法の研究』(一九六〇年)において、以下のように述べている。
「無禮討(=切捨御免)は武士に認められた権利であり、義務ではない。それゆえ、無禮を働いた庶民を宥すことは任意であり、内済してもよい。しかも、無禮を咎めて反撃に出たとき、切掛け刄傷はしても、殺害はしないのが建前であるという観念すら存じた。」(五七二頁)
これは京都における無礼討の事案から確認されたことで、江戸やその他の地域でも同じような観念が存在したかは不明である。けれども無礼に対する反撃は、殺害を目的とするものであってはならないこと、武士が無礼討の名においてでも、庶民を殺害することは抑制し遠慮すべきであるという観念が存在したことは、注目すべきことである。
このように切捨御免は制度としては存在していたが、当然のように行われていたわけではなかった。つまり切捨御免とは、前述した一般的なイメージとは異なるものといえる。 なお、公事方御定書は、第七一条「人殺し疵付等御仕置之事」に、殺人および傷害罪の罰についての規定を置いている。
その中に、「足軽躰に候とも、軽き町人百姓の身として法外の雑言等、不届の仕形、止むを得ず切り殺し候もの、吟味の上、紛れ無きにおいては、構い無し」という条文がある。 これは、足軽(=武士階級における最下層の武士)であろうとも、低い身分の町人や百姓による法外の雑言などの無礼があって切り殺した場合、取り調べの結果、その事実が明確であると証明されたのならば刑罰を免れる、という内容である。本事案ではこの条文に基づいて、友右衛門の行為が分析されている。
ところで、「法外の雑言」とは、何であろうか。これは武士としての名誉を維持できるギリギリの線を超えた、いわゆる罵詈雑言を示しており、その判断は厳しいものと考えられる。当時の社会秩序の防衛策として、支配階層である武士の名誉や威厳を守る術となる切捨御免。だからといって、武士がこれを濫用することがあってはならないからである。本事案では、「田舎侍、大きい顔をして道を塞ぐな。」という発言から口論が始まり、最終的には、元亮が「侍のように切ってみろ。」と煽っている。「田舎侍」という発言は、田舎者であることをあざけっているものの、まだ侍という扱いをしており、「法外」とまでは言えない。だが、その後「侍のように…」といった、もはや侍の身分として大変な侮辱となる発言をしており、こうした一連の口論を総じて「法外」となる。それゆえ、友右衛門の殺意が芽生えたのである。
以上のことを踏まえて、友右衛門の罪責はどのようになるか。元亮が雪中に引き倒したこと、「法外の雑言」を吐いたこと、自宅へ連れて行っての散々な挑発などの無礼な行為をしたことに、友右衛門は堪忍しがたかった。したがって取り調べの結果、元亮の無礼は切り殺してもやむを得ないと判断され、また、関係者の証言も一致し、友右衛門は有罪ながら刑罰を免れることになったのである。
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本事案は、いわゆる切捨御免に関する裁判例である。切捨御免とは、一般的には身分の低い町人や百姓(=庶民)が、武士に対して少しでも無礼を働いた場合に、武士はその無礼を理由に庶民を切り殺しても構わないというイメージがある。しかし平松義郎は、著書『近世刑事訴訟法の研究』(一九六〇年)において、以下のように述べている。
「無禮討(=切捨御免)は武士に認められた権利であり、義務ではない。それゆえ、無禮を働いた庶民を宥すことは任意であり、内済してもよい。しかも、無禮を咎めて反撃に出たとき、切掛け刄傷はしても、殺害はしないのが建前であるという観念すら存じた。」(五七二頁)
これは京都における無礼討の事案から確認されたことで、江戸やその他の地域でも同じような観念が存在したかは不明である。けれども無礼に対する反撃は、殺害を目的とするものであってはならないこと、武士が無礼討の名においてでも、庶民を殺害することは抑制し遠慮すべきであるという観念が存在したことは、注目すべきことである。
このように切捨御免は制度としては存在していたが、当然のように行われていたわけではなかった。つまり切捨御免とは、前述した一般的なイメージとは異なるものといえる。 なお、公事方御定書は、第七一条「人殺し疵付等御仕置之事」に、殺人および傷害罪の罰についての規定を置いている。
その中に、「足軽躰に候とも、軽き町人百姓の身として法外の雑言等、不届の仕形、止むを得ず切り殺し候もの、吟味の上、紛れ無きにおいては、構い無し」という条文がある。 これは、足軽(=武士階級における最下層の武士)であろうとも、低い身分の町人や百姓による法外の雑言などの無礼があって切り殺した場合、取り調べの結果、その事実が明確であると証明されたのならば刑罰を免れる、という内容である。本事案ではこの条文に基づいて、友右衛門の行為が分析されている。
ところで、「法外の雑言」とは、何であろうか。これは武士としての名誉を維持できるギリギリの線を超えた、いわゆる罵詈雑言を示しており、その判断は厳しいものと考えられる。当時の社会秩序の防衛策として、支配階層である武士の名誉や威厳を守る術となる切捨御免。だからといって、武士がこれを濫用することがあってはならないからである。本事案では、「田舎侍、大きい顔をして道を塞ぐな。」という発言から口論が始まり、最終的には、元亮が「侍のように切ってみろ。」と煽っている。「田舎侍」という発言は、田舎者であることをあざけっているものの、まだ侍という扱いをしており、「法外」とまでは言えない。だが、その後「侍のように…」といった、もはや侍の身分として大変な侮辱となる発言をしており、こうした一連の口論を総じて「法外」となる。それゆえ、友右衛門の殺意が芽生えたのである。
以上のことを踏まえて、友右衛門の罪責はどのようになるか。元亮が雪中に引き倒したこと、「法外の雑言」を吐いたこと、自宅へ連れて行っての散々な挑発などの無礼な行為をしたことに、友右衛門は堪忍しがたかった。したがって取り調べの結果、元亮の無礼は切り殺してもやむを得ないと判断され、また、関係者の証言も一致し、友右衛門は有罪ながら刑罰を免れることになったのである。